「狙い球を絞るんでは無く来た球を打っているだけ」彼の全盛時代、あるTV番組で彼が語っていた言葉である。簡単なようで、誰にでも出来るレベルの話ではない・・・というよりもプロの世界でこの事を実践出来ている打者はごくわずかだろう。それはまさに打撃に関する「天賦の才」が成せる技であり、それがこの選手の価値である。恐らくプロ入り以後、こと打撃に関しては「壁」を感じずに一流の領域にまで駆け上がった選手である。プロ入り後2006年までの11年間、彼はケガ以外でファームを経験した事がない。ルーキーイヤーの後半にはほぼレギュラーを掴み、あの「メイクドラマ」に貢献した。その時から既に彼独特のインコースの捌きは備わっており、驚異的な打球速度をもって引っ張られる打球は、当初よりプロの中でも出色のものであった。「左投手に弱い」というレッテルを貼られ、結果を残していようが対戦相手が「左」であれば無条件にスタメンを外されるなど、不遇な時期もあったが、それがあくまで「レッテル」に過ぎなかった事は、後年の結果が表してしている。2002年の191安打が何よりの証明だ。正直打撃に関して言えば、高橋由伸に匹敵するような「才能」を備えていたと思う。この2人に松井秀喜を加えた「不動の外野」は、打撃力に関して言えばジャイアンツ史上でも最強の布陣だったと思う。ただ、彼には致命的な弱点があった。それは「弱肩」。言われる程守備力は悪くなく(決してうまくはなかったが)、守備範囲も狭い方では無かったが、ともかくこの「欠点」が彼の足を引っ張った。同じ打撃力なら他の選手が優先される。従って、彼は常に打撃力という武器一本でライバル達に打ち勝っていかなければならなかった。同期で長年1、2番コンビを組んだ仁志敏久や、ともに外野を組んだ松井、高橋らに比べると「華」には欠ける存在だった。ただ、その打撃技術は見るものを魅了したし、ジャイアンツファンの中では根強い人気を誇っていた。2007年、2008年。代打に回った彼の名前がコールされた時のドームの歓声の大きさが、何よりそれを証明している。「最後の一花」を咲かせる為に、高校時代を過ごした埼玉をホームとするライオンズに移ったものの、全盛時代のような打撃は見られずに昨年引退。ただ、移籍しても打席に入る時に奏でられるテーマが「GO WEST」だったのが何だか嬉しかった。2007年に優勝を決めた内野安打。あのヘッドスライディングは生涯忘れない。まさに「打撃の職人」。清水隆行の技術が、いずれ本人からジャイアンツの明日を担う若手達に伝授される事を願う。その人柄からも、絶対に「名コーチ」になれる。必ず、ジャイアンツ球場に戻ってきて欲しい人材である。
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